「コラム」

 先日の4月23日に元広島東洋カープの衣笠祥雄さんが亡くなられました。「鉄人」の愛称で親しまれ、そのキャラクターもあり、広島だけでなく日本全国で愛された衣笠さんの訃報に、たくさんの方々が悲しみに包まれました。

 衣笠さんと言えばやはり「鉄人」の愛称があまりにも有名ですね。2215試合連続出場という日本野球史に残る金字塔を打ち立て、怪我をしても試合に出続ける姿からこの愛称が付いたのかと私は長年思ってきたのですが、実は横山光輝著作の「鉄人28号」からきていたということに驚きました。

 衣笠さんと言えば永久欠番にもなっている「3」の背番号が有名ですが、1965〜1974までは「28」の背番号を背負っていたのです。その「28」の背番号と、当時流行していた「鉄人28号」、さらに衣笠氏の頑丈な体から、「鉄人」の愛称が付けられたようですが、当時「鉄人」と呼んでいた人達も、まさか2215試合連続出場を成し遂げる本物の「鉄人」になってしまうとは思ってもみなかったことでしょう。

 衣笠さんにはどうしても2215試合連続出場という成績が目立ってしまいがちですが、他の成績もずば抜けてすばらしいものばかりです。安打数2543(歴代5位タイ)、本塁打数504本(歴代5位タイ)、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回、また私は意外だったのですが、76年に31盗塁で盗塁王も獲得しているのです。

 そんな衣笠さんの記録の中で、死球数161(歴代3位)というものがあります。彼はデッドボールになっても決して相手投手を責めなかったといいます。逆にデッドボールに怒った味方を制したり、相手投手を気遣ったりする姿は当時の観客の心に今も残っているそうです。デッドボールに関して衣笠さんは「死球は投手の投げ損ないと打者のよける技術の不足が重なったもの。怒るのは自分の責任を棚に上げ他人を責めるに等しい。」と発言しています。

 衣笠さんの人柄を示す本当に衣笠さんらしいエピソードだと思います。

 野球に一生懸命で穏やかな人といったイメージが強い衣笠さんですが、実は肉ばかり食べる偏食家であったり、契約金で買ったアメ車で何度も事故を起こし結局免許剥奪になったりと、なかなかに破天荒な面もあったりします。そんないろいろな表情が皆から愛されていたのではないでしょうか。

 広島県人としての感謝も込めて、ご冥福をお祈りさせていただきたいと思います。  

 

アオイ福原(株)
広島本店 石田 知也

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