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2013年現在、選抜20回、夏20回、計40回甲子園に出場している野球の名門熊本工業高校で前田は、3度の甲子園出場をし、1989年にドラフト4位で広島東洋カープに入団した。 入団3年目21歳になったばかりの前田は、父親ほどの年齢の新聞記者に対し、「速球投手が相手の時はね、わざとツマらせるんですよ。そうすると打球はちゃんと外野の前に落ちる、これが打撃の極意。」と前田一流のジョークを言ってのけた。もちろんポテンヒットを打った照れ隠しである。 ちなみにこの新聞記者が打撃の天才としてあげているのが張本勲、榎本喜八、落合博満、イチロー、そして前田である。 前田伝説が語られるのは、1992年9月13日の東京ドームの対巨人戦、カープリードで迎えた5回裏、河合の打球をセンター前田が後逸しランニングホームラン。1−1の同点になってしまう。ゲームはそのまま8回表2死1塁でバッター前田。石毛からセンターオーバーの決勝2ランホームランを放ち、3−1でカープが勝利、前田は自らのバットでカープを勝利に導いた。大活躍した前田だが、「北別府さんに申し訳ない」と試合終了後のヒーローインタビューを拒否した。8回表打席に立ったとき既に前田は涙を浮かばせていた。 1998年10月 横浜対広島最終戦。 首位打者争いのトップを走る鈴木尚典を2厘差で追う前田。この試合で敬遠されることが予想されたため、前田は出場を拒否した。「ファンにみっともないものを見せたくない」と言い残し球場を去ったのである。過去にも、盗塁をさせないための意識的なボークや満塁での押し出し敬遠など、醜いタイトル争いは数え切れないほどあった。 プロに入り24年間、プロ野球人生を広島一筋で戦い、2119安打と数々の名場面を残した。10月3日の中日戦が引退試合となった。
アオイ福原(株)
福山支店 矢田正明 |